高野山を巡る
素晴らしき歴史の足跡
高野山は歴史や文化、自然などが凝縮した素晴らしい景趣を誇っています。
高野山の広い境内の中には様々な名所が存在します。是非参拝や観光に訪れる前にどのようなルートで高野山を巡るのか想像を巡らせて下さい。
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大門
高野山の入り口にそびえる五間二階の楼門で、一山の総門です。
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壇上伽藍
主要な法会の行われる高野山の中心で、金堂や根本大塔など諸堂が建並びます。
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中門
金堂の正面手前の一段低い所に、平成27年(2015年)の高野山開創1200年を記念して再建された門。
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金堂
平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。
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登天の松と杓子の芝
その昔、如法上人が弥勒菩薩の浄土に昇天された場所とつたわります。
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六角経蔵
鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。
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御社
お大師さまが弘仁10年(819年)に山麓の天野社から地主神として勧請し、高野山の鎮守とされました。
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山王院
山王院は御社の拝殿として建立された、両側面向拝付入母屋造りの建物です。
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西塔
お大師さまの伽藍建立計画案である『御図記』に基づき、真然大徳によって建立されました。
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孔雀堂
東寺長者延杲が孔雀法を用いて雨を降らせ旱魃に苦しむ都を救ったことに対して 後鳥羽上皇はこの堂を建てて報謝しました。
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逆指しの藤
荒廃した高野山を悲しんだ祈親上人は再興を誓い、「願掛け」として藤を地面へ逆さに植えました。
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准胝堂
本尊の准胝観音は、弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立されたと伝えられています。
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御影堂
もとは、お大師さまの持仏堂として建立されましたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられました。
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三鈷の松
お大師さまが祈りを込めて唐から投げた三鈷がこの木に掛かって毎夜光りを放ちました。
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根本大塔
真言密教の教えを体現する象徴として建てられた塔で、塔内には立体の曼荼羅世界が 広がります。
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対面桜
平清盛が大塔を再建した際に尽力を讃えられたと言われる場所。
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大塔の鐘・高野四郎
お大師さまの発願により弟子の真然大徳の代に鋳造相成った鐘です。
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愛染堂
建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、玉体安穏を祈るために建立されました。
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不動堂
鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王というお方が発願され、行勝上人によって建立されました。
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勧学院
北条時宗が高野山内の僧侶の勉学・修練のための道場として、金剛三昧院境内に建立しました。
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蓮池
干ばつに苦しむ人々を救うために善女竜王像と仏舎利を祀った池です。
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大会堂
鳥羽法王の皇女である五辻斎院親王というお方が、父帝の追福のため建立されました。
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三昧堂
済高師はこのお堂で「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、三昧堂と呼ばれるようになりました。
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東塔
大治2年(1127年)、白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建されました。
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智泉廟
東塔より東へ少し行くと、小さな廟がひっそりとたたずんでいます。この廟は、 お大師さまの甥である智泉大徳の御廟です。
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蛇腹路
伽藍入り口から続く小道で、高野山の風景を龍に喩えると腹にあたる場所であるので蛇腹と呼ばれます。
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六時の鐘
伽藍の入り口の高い石垣にある鐘楼は、福島正則公が父母の追福菩提を祈って、元和4年(1618年)に建立されました。
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高野山霊宝館
金剛峯寺をはじめ、高野山に伝えられている貴重な仏画・仏像などの文化遺産を保護管理し、一般にも公開する目的で開設された施設です。
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高野山大師教会
大講堂は大正14年(1925年)、高野山開創1100年記念として建立され、本尊には弘法大師、 脇仏に愛染明王と不動明王が奉安されています。
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女人堂
明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。
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徳川家霊台
寛永20年(1643年)に三代将軍・家光によって建立されました。
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刈萱堂
苅萱道心と石道丸の会話は、悲話として広く知られています。
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奥之院
高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。
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燈籠堂
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弘法大師御廟
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頌徳殿
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