年中行事
行事のご紹介
旧暦の行事は新暦の日時で執り行います。事前にご確認ください。
1月
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1日~3日 午前9時
1日~3日 伽藍金堂・奥之院燈籠堂 / 5日 伽藍大塔 いずれも午前9時より
正月とは本来、その年の豊穣(ほうじょう)を司る歳神様(としがみさま)をお迎えする行事であり、1月の別名です。現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼び、この期間を「正月」といっています。この行事は「正」月に「修」する儀式であることから修正会と呼ばれます。もとは、礼仏して罪過を懺悔(さんげ)することにより、除災招福・五穀豊穣・国家安穏を祈る、悔過(けか)と呼ばれるものでした。「お水取り」で有名な東大寺修二会も、これに相当します。さらに、金堂で執行われる修正会は顕教によるもの、大塔で執り行われる修正会は密教によるものとして、両者に違いがあります。大塔修正会では、2時間におよぶ法会の終盤には「牛玉杖(ごおうつえ)」で床を打ちながら一年の息災を祈念します。ご参拝の方々へは、先着順にお守りと福杖を授与致しております。
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1月17日 午前9時
1月17日 午前9時 奥之院 阪神淡路物故者慰霊碑前にて
平成7年に阪神・淡路地区をおそった「阪神淡路大震災」にて犠牲になられた方々の追福菩提のため、平成8年に慰霊碑を建立し、犠牲者の霊名簿が納められました。以来、奥之院(中の橋入り口より直進400メートルほど)にあります慰霊碑前にて物故者追悼法会が厳修されています。
2月
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3日 午後1時
2月3日 午後1時 伽藍大塔
根本大塔内陣において、星供曼荼羅を奉祠し、節分法会が厳修されます。各人の北斗七星・十二宮・九曜二十八宿の星をまつることで、除災招福・福寿増長を祈念します。
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14日15日 午後11時
2月14日~15日 午後11時 金剛峯寺大広間
別名涅槃会(ねはんえ)とも呼ばれます。毎年金剛峯寺大広間で全山を挙げてお釈迦さまの入滅をお偲びする法会で、毎年入滅日の前夜である2月14日午後11時、大塔の鐘を合図によって始められ、翌15日の昼頃にかけて行われます。
この儀式は物語に節回しをつけた講式(こうしき)と呼ばれる声明を中心に、お釈迦さまを慕い、涅槃を哀しむ心を語る涅槃講、羅漢(修行を完成された人達)によりお釈迦さまが残された尊い教えを伝える恩徳を語る羅漢講、お釈迦さまにまつわる聖地(遺跡)をはるかに慕う思いを語る遺跡講、そして仏舎利尊崇の心を語りかける舎利講の四つのシーンに分けられて営まれます。
3月
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21日 午前9時
3月21日 午前9時 奥之院
3月21日はお大師さまが御入定(ごにゅうじょう)された日です。高野山では、毎年新暦と旧暦の3月21日に『御影供』と称し、全山住職をあげてお大師さまに報恩を捧げます。この日にはお大師さまの身代わりとして1年間にわたり高野山の重要な法会の御導師をお勤めになる「法印御房」が御出仕なされ、信者の方も大勢参列し非常に華やかな法会となります。御影供はお大師さまが御入定されて76年目の延喜10年(910年)3月21日、京都東寺(とうじ)にあります「潅頂院(かんぢょういん)」というお堂にて、当時の長者(つまり一番偉い方)観賢僧正(かんげんそうじょう)がお始めになられたといわれ、高野山ではそれより遅れて久安4年(1148年)3月21日に金剛・胎蔵の両秘法を修法して報恩を捧げたことが伝えられています。
現在では御衣(ぎょい)のお寺として有名な寶龜院(ほうきいん)様より、金剛峯寺へ従者と共に唐櫃にて「御衣」を奉持します。金剛峯寺では本山の重役を初め、執行代(しぎょうだい)と呼ばれる方がおまちうけします。金剛峯寺に運ばれた「御衣」は一端持仏間(じぶつ=お寺の先住様のご位牌や仏様をおまつりしている部屋)の前の浄薦の上に蓋を開けて置かれ、御法楽(仏様にお経を読んで捧げる)をします。続いて先の執行代様が目録と中身を照らし合わせて確 認し、すぐに寶龜院様と先の従者と共に奥之院へ向かいます。奥之院に着けば燈籠堂正面に唐櫃を安置し、ただちに執行代様がご供養のために一座の修法をされます。
さらに9時から引き続いて本番の「正御影供」を執行し、懇ろに供養された唐櫃の中の「御衣」は再び従者と共に今度は御影堂へ向かいます。そうして御影堂に着いた「御衣」は御影堂の内々陣(お堂の一番奥のところ)に安置され、1年間にわたり供養が続けられます。この御衣は来年の法印御房がおめしになります。
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彼岸 中日前後三日間
午後1時3月と9月彼岸中日前後三日間 午後1時 伽藍金堂
彼岸供養のため、春は3月、秋は9月共に中日前後3日間、金堂において滅罪生善のため厳修されます。元々は、御影堂において行われていたのですが、長久5年(1044年)に金堂に移されたといわれています。
4月
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旧暦3月21日 令和6年は4月29日(日)令和6年度 旧正御影供について(4/28・29)
旧暦3月21日 伽藍御影堂
お大師さま、御入定の3月21日の旧暦に当たる日に、「旧正御影供」を執り行います。正当日の前日の夜「御逮夜(おたいや)」では、お参りにこられ た多くの方々の手によって、伽藍全体がお花とろうそくで埋め尽くされます。午後6時半より伽藍御影堂付近にて御詠歌・舞踊の奉納、午後7時には「御逮夜法会」を執行致し、その後、年に一度しか内拝することができない御影堂内を参詣者の方々がお大師さま・諸弟子様方を奉拝されます。
また、正当日には午前9時より奥之院燈籠堂にて御影供の法会を行い、午後1時より御影堂にて御影供の法会を執り行います。山内の住職は、法印御房と 共に金剛峯寺から御影堂までの道のりを行道致します。法印御房は結縁潅頂のときのようにお輿に乗られます。どちらの法会も「法印御房」が御出仕され、伽 藍・御影堂では裏千家の献茶や華道高野山による献華が行われ、非常に見応えのある法会となっております。参拝されるにふさわしい法会としておすすめ致します。
※「御逮夜」時の御影堂参拝の際、内拝希望者は御影堂横に設置いたします本部テントにて「整理券」をお受け取りください。
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8日 午前9時
4月8日 午前9時 金剛峯寺大広間
仏生会(ぶっしょうえ)とは「花祭り」としても親しまれ、お釈迦様の御誕生をお祝いする法会です。法会には式師と呼ばれる方が「仏生会講式」を奉読 します。これは、物語のようになっており、お釈迦様の御誕生から涅槃までを独特な節に乗せながら讃歎していきます。また、杉の葉で盛った「花御堂」の中に は、御誕生時のお姿をされたお釈迦様が安置されています。「灌沐(かんぼく)」と言う作法があり、法会の締めくくりとして当日参加された山内住職の方々が お釈迦様の頂きに「甘茶」を注いで供養を致します。
また、当日「高野山寺族婦人会」の方々のご奉仕により、参拝者の方々には甘茶が振る舞われます。
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10日 午前9時
4月10日 午前9時 伽藍金堂
高野山の諸法会の中で最も起源が古く、非常に重要な法会として位置付けられています。この法会はその名の如く金剛・胎蔵両曼荼羅を供養し、生きとし生けるもの総てに功徳を施す大変ありがたい法会です。高野山の行事の中では5月の「結縁灌頂」と並んで非常に厳格な法会であります。
当日は伽藍内の「大会堂」より山内住職が「金堂」まで行道(お練り)します。住職方は様々な金襴の衲衣(のうえ)と呼ばれる袈裟を着用されていますので、非常にきらびやかな行道が繰り広げられます。当日の御導師にはやはり、法印御房が御出仕されます。
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21日 午前9時
4月21日 午前9時 奥之院燈籠堂
奥之院に寄進されてあります「燈籠」の総供養として、法印御房以下、山内住職が集まり供養いたします。この法会も「御供所」と呼ばれる場所から燈籠堂まで行道(お練り)しますので、ご参拝される方には非常に見応えがあると思います。
当日は燈籠堂の外陣までご参拝いただけます。
5月
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3日~5日 午前8時
※入壇申込については、こちらをご覧ください。
胎蔵界:5月3日~5日、金剛界:10月1日~3日 伽藍金堂
5月3日~5日に「胎蔵界結縁潅頂」、10月1日~3日に「金剛界結縁潅頂」を大伽藍・金堂にて開壇致しております。
この儀式は仏様の世界を表す曼荼羅(まんだら)に向かって華を投ずることにより、仏様(密教の尊い教え)と縁を結ばせて(これが《結縁》の意味)いただき、阿闍梨様から大日如来の智慧の水を頭の頂より注いで(これが《潅頂》のこと)いただくことによって皆さんの心の中に本来そなわっていらっしゃる仏の心と智慧を導き開く儀式です。高野山では先の「大曼荼羅供」とともに厳格な儀式の一つです。この尊い機縁に触れていただきまして、心豊かな生活を送られますことをお祈りいたします。
5月、10月共に初日には入壇に先立ちまして「庭儀結縁潅頂三昧耶戒」の儀式がございます。どうぞ密教のありがたい「戒律」をお授かりください。僧俗を問わずどなたでも金剛・胎蔵の諸仏と縁を結ぶことができます。受者は印と真言を面授され、そして両目を覆われます。印の先には花を授けられ曼荼羅へと導かれます。そして花を曼荼羅に投ずることによって曼荼羅の諸仏と「仏縁」を結びます。これを「投花得仏(とうけとくぶつ)」といいます。次に如来の智慧の水を阿闍梨様より注いでいただきます。そうすることによって煩悩の闇をさまよっている我々に道しるべを与えていただきます。
持ち物は特に必要ありませんが、念珠・お袈裟をお持ちの方はご持参ください。
この儀式は大変古くからあり、お大師さまが弘仁3年(812年)11月に京都の高雄山寺にて金剛界、続いて12月に胎蔵潅頂を厳修された記録がございます。さて、金・胎の結縁潅頂の二つの違いについてお話しします。基本的には金剛界は金剛界の諸尊と、胎蔵界は胎蔵の諸尊と結縁することですが、もう少し見方を変えると、金剛界は金剛頂経(こんごうちょうぎょう)系思想を根本として、大日如来の智の表面を表現するとして、皆さんの菩提心と仏の智慧を示すのを目的とします。胎蔵(界)は大日経系思想を根本として皆さんが本来持っている菩提心・理性が大慈悲の万行によって長養される世界を体験します。このように説明すると「なんと難しいことか」と思われるでしょうが、最初に話を戻して金・胎の仏様と結縁し、皆さんの心に仏様の「ありがたさ」がなんともなしに沸き上がり、それを糸口として心に大慈悲が起こり、皆さん仲良く生きとし生けるものと共にこれからの生活を送りましょう。
結縁潅頂の入壇について詳しくは、お知らせページをご覧ください。
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21日 午前9時
5月21日 午前9時 奥之院 燈籠堂
奥之院にはたくさん墓地が立ち並び、毎年たくさんの御納骨される方がいらっしゃいます。毎年5月21日はこれらすべての精霊に対し、施餓鬼供養を致します。山内住職でも限られた方が御出仕され、施餓鬼供養を致しますことにより、お大師さまのお膝元にいらっしゃいます、すべての精霊に功徳を施し、仏徳(ぶっとく)をお積み差し上げます。
まず、燈籠堂で一座の法会を開いた後、御廟の左手にあります「納骨堂」の奥にて施餓鬼供養を行います。高野山に御納骨をなされていらっしゃいます方々に是非御参拝をおすすめ致します。(※参観では納骨堂奥までは入れません)
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第2日曜日 午前9時
5月 第2日曜日 午前9時 伽藍金堂
戦没者慰霊法会は、先の太平洋戦争の時になくなられた数々の戦没者をお慰めし、世界平和を祈る法会です。稚児行列を先導に、大会堂を出発し、職衆は「散華」を散らしながら、御詠歌の鈴鉦が響く金堂へ行道致します。
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旧暦5月1日、2日
旧暦5月1日、2日
1年に一度、南院(なんいん)に御安置されております「浪切不動(なみきりふどう)」さまを山王院におまつりし、招福除災をお祈りする法会です。
本来は「四季祈り」として行われておりましたが、現在は「夏季」にお祈りするのみとなりました。この法会には高野山でも有名な仏様であります「浪切不動明王」様をお迎えし、山王院にて御法楽を捧げ天下泰平・五穀豊穣を祈ります。
浪切不動様は、お大師さまが船で唐から日本に帰朝された際に嵐に遭われ、一心にご祈祷されたところこのお不動様がお現れになりました。お不動様は手にお持ちになっていらっしゃる剣にて、荒海へばっさり振り落としたところ、不思議とその部分だけ波が静まり、無事に航海することができたそうです。
現在でも秘仏とされていますが、この二日間だけお姿を拝することができます。山王院へは「唐櫃」が用いられ、波切不動様のご信者様の手によって往復されます。なお、この行事は旧暦にて執行されます。執行日は旧暦5月1日、2日です。
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旧暦5月3日 午後6時
旧暦5月3日 午後6時 伽藍山王院
高野山には古来より「学道」として様々な経典や論疏を勉強する習わしになっています。この山王院堅精は高野山に伝わる学道に関する儀式で、当日の夕方から翌日に掛け、密教に関する問答を繰り広げる儀式で、高野山の住職にとっては非常に大切な法会(論議)の一つです。元の始まりは、山王院の前にございます「明神様(みょうじんさま)」へ奉納する儀式でありました。ある時期、高野山に荒廃期があり、そのころはお坊さんも勉強どころではなく、次第に怠けるようになりました。ところがそれを見守っていた明神様はとうとう堪忍袋の緒がきれて、神世の世界に帰るとおっしゃいました。それを聞いたお坊さんたちは大変だとばかりに早速南都へ二人のお坊さんを使わし、当時行われておりました問答を学んで帰山し、早速明神様の御前で密教問答を繰り広げました。これを見た明神様はいたくご満足なされ、「それならば帰るのはやめて今までどおり高野山を見守ろう。この儀式を行う際は必ず雨を降らせて私が聴聞していることを示そう」とのお言葉をいただき、それ以来この儀式の際に少しの雨が降るようになったとされております。現在でも、この儀式の時に雨が降ると、「明神様がいらっしゃった」と、高野山のお坊さんは益々神様への感謝の念を興さずにはいられないのです。
この行事も旧暦にて執行され、「夏季祈り」に続きまして旧暦5月3日に執行されます。
6月
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旧暦6月9日、10日
午前10時旧暦6月9日、10日 午前10時 金剛峯寺大広間
高野山に伝わる問答の一つで、昔は10日間行われました。元は「練学会」と称し、お坊さん達はこの論議に出仕し、自己を磨き、一生懸命に勉強して高野山での僧位を築きました。独特の節回しがあり様々な、問答を繰り広げます。声明(しょうみょう)などに興味がございます方には、非常に面白いと思います。
高野山のお坊さんの位に「上綱(じょうご)」というものがあります。高野山の「学道(経典や論疏の勉学)」を修めなければこの階位に登ることができません。その上綱となる区切りの法会が次の「御最勝講」ですが、それに先だって問答を戦わせるのがこの「内談議」です。
この法会には高野山の勉学機関である「勧学会」の新衆(つまりは一年生)が初めておおやけの論席に出仕するもので、配役されたそれぞれの人たちは、この日までに一生懸命練習を重ねてきます。元は「歌論議」といわれたように独特の節回しを付けて問答を致します。また、言葉使いも古風で、「○○に候」といった具合で進みます。現在は2日間ですが、昔は10日間行われました。
この日には「五段華」と呼ばれる高野山の伝統華が生けられます。
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旧暦6月10日、11日
午後6時旧暦6月10・11日 午後6時 伽藍山王院
元々宮中にて『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうぎょう)』という経典を講讃し、国家安穏等を祈る行事でした。高野山では承安3年(1177年)に始まりました。最初はやはり『金光明最勝王経』を講讃していましたが、文永11年(1274年)以降、問答論議に変更され江戸末期までは5日間10座の講席を勤仕されました。
現在では2日4座に成りましたが、現在でも厳重に執行されています。
お大師さま真筆と伝えられる「金光明最勝王経」と呼ばれる経典を講讃し、鎮護国家を祈る法会で、「左右学頭(がくとう)」はこの御最勝講を無事に勤めると「上綱」と呼ばれる階位に登ります。古くには宮中より勅使が参列されたりと、非常に厳重な法会です。
この法会にもやはり「勧学会」の新衆が出仕し、問答を致します。左右学頭は金剛峯寺より多くの方々に見送りを受け山王院へ出仕し、問答の最後に審判を下す「御領解」をなして、法会を締めくくります。また、法印御房の御出仕もあり、やはり「御領解」を頂戴してすべて滞りなく終了します。
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15日 午前9時
6月15日 午前9時 高野山大師教会大講堂
お大師さまの御誕生日をお祝いします。安永7年(1778年)年に書かれた『金剛峯寺年中行事』に初めてその名称があげられ、当時は金堂にて執行されていたと記されています。大正4年に高野山大師教会が落成し、その折に大師教会大講堂へと場所が移されました。
また、6月第2日曜日には、町家の皆さまがお大師さまの生誕を祝う高野山青葉まつりが開催されます。高野山一山上げてのお祭の日で、午後からは花御堂渡御が行われ、日本各地から踊りや太鼓といった諸団体の方々も加わり、メインストリートをパレード致します。当日の飛び入り参加も大歓迎ですので、是非ご参加ください。
令和5年の青葉まつりは6月15日(木)に開催いたします。青葉まつり前日の前夜祭では夜店もあり、また商工会青年部主催による「奉燈行列」もあり、明かりがともされた力作のねぶたが夜の町をいろどります。
※画像は青葉まつりのものです。
7月
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1日 午後1時
7月1日 午後1時 伽藍准胝堂
この法会は、明算大徳(1021年~1106年)のときに始められたと伝えられています。御影堂横にあります「准胝堂」にて「尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)」をお唱えし、日々の罪過を懺悔します。
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15日 午後1時
7月15日 午後1時 伽藍大塔
歴代天皇供養の法会です。はじめは持統天皇の国忌斎という儀式を基に、後醍醐天皇の御修斎として金剛峯寺で行われたものが記録に見えますが、それ以前は記録が見あたらず、はっきりと判りません。
現在は午後1時より権検校お導師のもと、大伽藍大塔に場所を移して、歴代天皇の追福菩提をお祈りしています。
8月
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7日より一週間
午前9時8月7日より一週間 伽藍金堂
寛治8年(1094年)より滅罪生善(めつざいしょうぜん)のために1週間、金堂の中を理趣経に節を付けて堂内を廻ります。非常に変わった声明ですので、声明に興味のある方は面白いと思います。この法会では、真然大徳が重んじられ、金堂の曼荼羅の裏には、真然大徳と釈迦如来の掛け軸がかけられます。その日最後のお経は、途中で終わりとなり(終わり経)、次の日の始め(始め経)へと引き継がれ1週間法会は続きます。
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11日 午前11時
8月11日 午前11時 金剛峯寺大広間
高野山歴代前官御房霊名が書かれましたお軸を掛け、報恩追福を祈ります。盂蘭盆とは梵語で、これを訳すと「逆さ吊りになっているのを救う」という意味になるそうです。中国で成立した盂蘭盆経がその典拠になっており、お釈迦さまの弟子である目連(もくれん)が、その心眼でご自分の母が死後に餓鬼道に落ちて痩せ衰えているのを見透し、何とか助けたいとお釈迦様に助けを乞い、「衆僧に供養してその功徳の力でお母様を助けなさい」とのお言葉でやっと助けることができたという孝行説話に由来します。
日本ではこれに祖霊祭が融合し、先祖の霊を慰める行事となりました。おまつりの仕方は地方にて様々な形態がございますが、高野山でも独特のおまつり方を致します。
金剛峯寺では8月10日に「仏迎え」をし、11日に「盂蘭盆会」を執行します。諸聖霊をお迎えするにあたって、様々な飾り付けをします。
大広間中央に三段の机が置かれ、位牌等が飾られます。また、水盆に入れられた経木塔婆(きょうぎとうば)がありますが、これには歴代座主(つまり歴代金剛峯寺住職)の霊名が書かれています。左の写真を見ますと金剛峯寺の場合は霊名軸がおまつりされていますが、高野山の塔頭寺院では多く先師の「肖像画」が掛けられます。たくさんこの肖像画(軸)がありますお寺は、それを掛けるだけでも大変です。お供え物はたくさんありますが、必ず「そうめん」を差し上げるのが習わしとなっています。またお膳も用意し、その内容は生ける方に差し上げるのと何ら変わりはありません。
仏迎えに出かけ、奥之院にてお迎え用の「消えずの火」を頂戴すると、消さないように注意してお寺に持って帰り、まず「切子燈籠(きりことうろう)」へ火を移します。次いで、油燈籠(あぶらとうろう)に火を移し、お盆が終わるまで灯されます。その後、一座の法会(読経)がなされます。
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13日 午後7時
毎年8月13日高野山では萬燈供養会(高野山ろうそく祭り)が開催されます。ろうそく祭りとは参拝者によって一の橋から奥之院までの聖域約2キロメートルの参道を約10万本のローソクの光で荘厳し、先祖をはじめ奥之院に眠る総ての御霊(みたま)を供養するお祭りです。
参道に浮かぶ約10万本のローソクの光は幻想的で、漆黒の闇にきらめく灯りの線は高野山の夏の風物となっています。参拝者はその灯りの中に先祖を思い、お盆の送り火といたします。
たくさんの方のご参拝を心からお待ちしております。
【萬燈供養会】
開催日時 8月13日 開催場所 奥之院燈籠堂 開催時間 午後8時から 【ろうそく祭り】
開催日時 8月13日 開催場所 奥之院 開催時間 午後7時から午後8時30分まで 参加料 無料 ろうそく祭りのご注意
- 小雨決行いたします。
- 午後7時より奥之院一の橋の受付テントにて、ローソクを無料でお配り致します。
- 渋滞が予想されます。お車でのご来山はお控えになり、公共交通機関をご利用下さい。
- 宿坊の浴衣・丹前・寝間着でのご参拝は、ご遠慮ください。
- 本山関連施設での宿泊はできませんので、宿泊される方は 高野山宿坊組合・観光協会 (別ウインドウ)にお問い合わせください。
- 奥之院中の橋駐車場は夜店が出るため、立体駐車場2階部分しか駐車できませんのでご注意ください。
お問い合せ先
〒648-0281
和歌山県伊都郡高野町大字高野山636番地
高野町役場
電話/0736-56-3000(代) Fax/0736-56-4745
9月
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1日 午後1時
9月1日 午後1時 奥之院関東大震災供養塔
大正12年に関東地方をおそった「関東大震災」にて犠牲になられた方々の追福菩提のため、奥之院一の橋参道すぐ(二また道を右の方へ)にあります供養塔前にて執り行われます。
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11日 午前9時
9月11日 午前9時 金剛峯寺大広間
不断経にもご登場されました高野山第二世傳燈国師真然大徳への報恩謝徳の法会です。この9月11日は真然大徳が入寂なされた日です。
お大師さまの甥に当たる方で、高野山第二世こと真然大徳様を偲ぶ法会で、諡號名(しごうめい 朝廷より贈られる名)を傳燈国師と呼ばれることからこの名称が使われています。
まず午前8時半より金剛峯寺役職員らが真然廟前に集まり御法楽をあげたあと、大広間にて山内寺院出仕のもと、座主猊下(管長さま)の御導師により一座の法会が行われました。
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彼岸 中日前後三日間
午後1時3月と9月彼岸中日前後三日間 午後1時 伽藍金堂
お彼岸供養のため、春は3月、秋は9月共に中日前後3日間、金堂において滅罪生善のため厳修されます。元々は、御影堂において行われていたのですが、長久5年(1044年)に金堂に移されたといわれています。
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彼岸中日 午前9時
9月彼岸中日 午前9時 伽藍金堂
土砂加持秘法ともうしまして、土砂を加持して亡者の得脱を祈ります。お彼岸の中日にこの法会を行うことにより、高野山の先師だけでなくすべての聖霊に対しご供養致します。
彼岸の中日に当たる日に、金堂にて「一座土砂加持法会」が執行されます。これは『不空羂索経(ふくうけんじゃくきょう)』に光明真言にて土砂を加持し、その土砂を亡者・墓等あらゆるものに散ずればたちまちに罪報を除き、密厳国土に往くことができるという由来から始められました。
土砂は三つ折りの半紙の中に少量入れられたものが法会に参加した職衆に配られ、樒の葉で土砂を掻き混ぜながら光明真言にて加持された後、法印御房の御導師により供養されます。
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高野山のお坊さんの学問研鑽の行事に「勧学会」があります。高野山のお坊さんとしての細かい作法やしきたり・各種経典・お大師さまの著作に関しそれぞれ勉強し、問答などを繰り広げます。この行事は一般には非公開です。
10月
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1日~3日 午後7時
奥之院に様々な願いと共に、膨大な量の燈籠が奉納されています。そのため、弘法大師御廟の前にかまえるお堂は「燈籠堂」と呼ばれ、無数の明かりで辺り一面が荘厳されています。この萬燈会は「ともしび」にたくされた、様々な願いがかなえられますよう、山内の浄侶が多数集まって供養されます。高野山の数少ない「夜の行事」であり、僧侶達のきらびやかなお袈裟と共に輝く燈明たちが、何とも言えない幽玄な世界を創造してくれます。この行事のもう一つの特色は、共に供養する僧侶として、高野山専修学院の生徒たちが加わります。彼等の初めての表舞台でもあり、若々しく力みなぎる「祈り」の世界を体験することができます。
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1日~3日 午前8時
※入壇申込については、こちらをご覧ください。
胎蔵界:5月3日~5日、金剛界:10月1日~3日 伽藍金堂
例年5月3日~5日に「胎蔵界結縁潅頂」、10月1日~3日に「金剛界結縁潅頂」を大伽藍・金堂にて開壇致しております。
この儀式は仏様の世界を表す曼荼羅(まんだら)に向かって華を投ずることにより、仏様(密教の尊い教え)と縁を結ばせて(これが《結縁》の意味)いただき、阿闍梨様から大日如来の智慧の水を頭の頂より注いで(これが《潅頂》のこと)いただくことによって皆さんの心の中に本来そなわっていらっしゃる仏の心と智慧を導き開く儀式です。高野山では先の「大曼荼羅供」とともに厳格な儀式の一つです。この尊い機縁に触れていただきまして、心豊かな生活を送られますことをお祈りいたします。
5月、10月共に初日には入壇に先立ちまして「庭儀結縁潅頂三昧耶戒」の儀式がございます。どうぞ密教のありがたい「戒律」をお授かりください。僧俗を問わずどなたでも金剛・胎蔵の諸仏と縁を結ぶことができます。受者は印と真言を面授され、そして両目を覆われます。印の先には花を授けられ曼荼羅へと導かれます。そして花を曼荼羅に投ずることによって曼荼羅の諸仏と「仏縁」を結びます。これを「投花得仏(とうけとくぶつ)」といいます。次に如来の智慧の水を阿闍梨様より注いでいただきます。そうすることによって煩悩の闇をさまよっている我々に道しるべを与えていただきます。
持ち物は特に必要ありませんが、念珠・お袈裟をお持ちの方はご持参ください。
この儀式は大変古くからあり、お大師さまが弘仁3年(812年)11月に京都の高雄山寺にて金剛界、続いて12月に胎蔵潅頂を厳修された記録がございます。さて、金・胎の結縁潅頂の違いについてお話しします。基本的には金剛界は金剛界の諸尊と、胎蔵界は胎蔵の諸尊と結縁することですが、もう少し見方を変えると、金剛界は金剛頂経(こんごうちょうぎょう)系思想を根本として、大日如来の智の表面を表現するとして、皆さんの菩提心と仏の智慧を示すのを目的とします。胎蔵(界)は大日経系思想を根本として皆さんが本来持っている菩提心・理性が大慈悲の万行によって長養される世界を体験します。このように説明すると「なんと難しいことか」と思われるでしょうが、最初に話を戻して金・胎の仏様と結縁し、皆さんの心に仏様の「ありがたさ」がなんともなしに沸き上がり、それを糸口として心に大慈悲が起こり、皆さん仲良く生けとし生きるものと共にこれからの生活を送りましょう。
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16日 午後12時30分
10月16日 午後12時30分 伽藍明神社
高野山の地主明神である高野明神の大祭です。明神社前にて法要の後、中学生の神輿が山内を練り歩きます。もち投げもあり、多くの参拝の方が訪れます。
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27日 午前9時
10月27日 午前9時 奥之院燈籠堂
延喜21年(921年)10月27日、醍醐天皇より「弘法大師」の諡號(贈り名)を賜ったことを慶讃するために執行される儀式で、その起源は意外に新しく、大正4年(1915年)に開山記念法会を契機として創始されました。法印御房が御導師として勤められる最後の儀式であり、翌年の2月22日をもって前官となり、次の法印御房へと、その職をお譲りになられます。