金剛峯寺からのお知らせ

高野山真言宗からのお知らせ

Notice

  • お知らせ

    2024.03.06

    金剛峯寺所有の建造物が県指定文化財に指定されました

     令和6年3月4日(月)付け、金剛峯寺所有の下記建造物が和歌山県指定文化財に指定されました。

    金輪塔内外
    1.金輪塔(きんりんとう)1基
     金輪塔は、高野山の中で一心院谷(いっしんいんだに)と称される地域(高野山五の室の金輪公園の中にある)に所在する多宝塔である。高野山の中興に尽力した明算大徳(めいざんだいとく)(1021~1106)が自らの廟所として建設した。本尊は金輪仏頂尊(きんりんぶっちょうそん)で金輪塔の名の由来となる。江戸時代後期に火災により類焼し、天保5年(1834)に再建されたものである。国宝(建造物)金剛峯寺不動堂は明治41年(1908)に高野山壇上伽藍に移築されたが、移築前はこの不動堂と対をなす多宝塔であった。現在は宗教法人金剛峯寺が所有し管理されている。
    金輪塔は天保5年に建設された総間が5mあまりの比較的規模の大きな多宝塔である。軒の出は深くとられるが、上層の屋根勾配は強くされ、時代の特徴が現れている。明治時代に不動堂は移築されたが、金輪塔はそのままの位置で維持された。不動堂と共に、境内の象徴となる重要な存在であった。県内に残る数少ない江戸時代後期建設の三間多宝塔(さんけんたほうとう)として貴重である。

    女人堂内外
     女人堂は南海高野線高野山駅から南海りんかんバスで「女人堂」下車すぐのところに所在し、江戸時代まで女性の高野山参詣者が宿泊した住宅風の仏堂である。明治5年(1872)までは高野山は女人禁制であり、女性は高野山外周を囲むように巡る女人道から参拝し、高野七口の各口に女人堂(参籠所)が設けられた。女人堂は、高野七口のうち不動坂口に位置し、現存する唯一の女人堂である。宗教法人金剛峯寺が所有し管理・公開されている。
    建設年代は不明であるが、室町時代後期の部材を一部使用して江戸時代前期に再建されたと考えられる。江戸時代末期に内陣を拡張し、大正4年(1915)高野山開創1100年記念大法会にあたり地盤を掘り下げ3mほど下に移設され、この際正面側内部の床が撤去された。昭和58年(1983)に檜皮葺から銅板葺に改められた。
    建設後の改修は多く見られるものの構造材は当初の部材を良く残しており、近世、近代を通じて継承されてきた女人堂の変遷を知ることが出来る貴重な文化財である。